ジョグジャビエンナーレ BIENNALE JOGJA XV

2019年のジョグジャビエンナーレが10月19-20日にオープニングを迎えた。私がジョグジャビエンナーレを見たのが、4年前だと思うが、今年のビエンナーレは率直に良かった。
Indonesia with Southeast Asiaと題した今年の展覧会は、東南アジアの各国からアーティストを招待している。カンボジア、ラオス、シンガポール、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシア。
そのため、今回は各アーティストの名前の横に全て出身都市名が書かれていたのだが、ジョグジャカルタ、バンドゥン、マニラ、クアラルンプール、ポンティアナ、ハノイ、ジャカルタ、ヤンゴン、ギアニャール、チェンマイ、デンパサール、イサン、フエなどと国名ではなく都市名をあえて書くことで、国家間の境界がかなり希薄感じられるような気がした。

ジョグジャビエンナーレは今年で5回目だ。世界中で行われているビエンナーレと同様、海外からアーティストを招待するのだが、ジョグジャビエンナーレは北回帰線から南回帰線までのエリアにある国のみに限定するというコンセプトだ。これは大体熱帯の気候区分に対応する。(日本は沖ノ鳥島は含まれるらしい)戦争時に一般的使われるようにになった東南アジアという括りではなく、地政学的にパリッと区切るコンセプトはフラットで良い。
これまで、南米(ブラジル2017)やアフリカ(ナイジェリア2015)、中央アジア(アラブ地域2013、インド2011)と、アーティストを招いてきた。そして今年が満を持して東南アジアという感じだ。

Pinggiran = 周辺、端っこ、縁。 Do we live in the same PLAYGROUND?

今年のキーワードはPinggiran。それぞれ社会構造や経済的政治的に不利だったり、無視されているということを問題意識とする。そして、Do we live in the same PLAYGROUND?と問いかける。
具体的に焦点になっているのは、アイデンティティの問題(ジェンダー、人種、宗教)、小さかったりオルタナティブなストーリー、社会/政治的対立、リミナリティー、労働、環境問題、もしくは単純に主流のアートとは異なる表現といった問題達だ。そういった少しセンシティブなテーマであるから、18禁と書かれた展示室が多かったのも印象的だ。

ジョグジャナショナルミュージアム

タマン・ブダヤ、Cemeti 、ガジャマダ大学のKHCCと会場があるが、メインの会場は、ジョグジャナショナルミュージアムだ。

JNMの入口に作られたMade Bayak(Gianyar)の作品は、プラスチックごみをテーマにした作品だ。 バリ人の海洋プラスチックの問題意識を強く感じられる。この夜、バリ舞踊のダンサーと、ガムラン奏者をラップでぐるぐる巻いていくパフォーマンスを見たが、バリのガムランの音を聞いているとだんだんとプラスチックのピラミッドがバリの寺院のように見えてきた。そして、ダンサーがどんどんと身動きがとれなくなっていく様が、プラスチックに囲まれた私たちの生活を視覚化していた。

ビエンナーレの作品を紹介

印象に残った作品をいくつか取り上げて紹介する。

ANIDA YOEU ALI(カンボジア)
ホワイトキューブの展示室にあるようなパフォーマンスを田んぼにもっていったらどうなるか。

GEGERBOYO(ジョグジャカルタ)
ムラピ山の噴火から街を守っていたBukit Geger boyoは2006年の大噴火の際にこわされた。今次の噴火から家々を守るものはなにもない。物理的にも、スピリチャル的にも。彼らのコレクティブはその名前から来ていたことをはじめて知った。

Deden Sambas(Bandung)
クラフト・職人の世界と、アートの世界の分断を扱った作品

Christina Quisumbing Ramilo(フィリピン)
ジョグジャカルタのレジデンス中に作ったこの作品は、図書館の雰囲気だが、全て木のプレートである。すべて壊されたジャワの伝統的家屋の廃材でつくられている。インドネシアでは、ジャワの伝統的な建築であるジョグロなどの古民家が移築されて、ホテルやレストランにするのが流行っているが、それは富裕層により伝統的な住宅は商品化され奪われ、村々には、コンクリートやレンガの普通の建物に置き換わっていっているのだと批判する。

Ridwan Alimuddin(西スラウェシ) + Tactic.plastic(Yogyakarta)
この卵、一見何かわからないが、これは日本人にお馴染みのとびこ。とびうおの卵。インドネシアでは食べないそうなので、スラウェシ島から日本に輸出されている。(確かにインドネシアのお寿司屋さんなぞにとびこいっぱいある。)海洋プラスチックの問題=プラスチックが海に浮いている様と、とびうおの卵が海に漂っている姿を重ねた作品。

ANGKI PURBANDONO(ジョグジャカルタ)
マスアンキの普段の作品はスキャナーを用いたものだが、今回彼は自身の日記を展示する。彼が大麻で捕まった際に刑務所の中で書いた日記だ。

Citra Sasmita(デンパサール)
展示室の中に入るとウコンの香りがする。ああバリ人かなと思うくらい、ウコンはバリでよく使われる香辛料のひとつだ。彼女がテーマにするのは、バリのカカウィン、古文のポエムのようなもの。だが、バリのカカウィンはジャワ島の影響から離れることはできない

取り上げたのは、一部のみだが、全体を通して作家それぞれ個人の葛藤が感じられる展覧会だったと思う。東南アジアの現代を生きるアーティストは様々な身近な問題を無視することはできないので、そういった社会的な作品はもともと非常に多い。それが魅力であるなということを再確認した。

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